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更新が開いちゃったなあ。 [家族]

先月半ばに母がお世話になっているホームから、医者から話があるとのことなので一緒に聞いて下さい、という電話をもらった。
嫌な予感を感じつつ、チビを連れてその日のうちに新居浜に帰り、翌朝すぐに病院に行くと医者から母の余命が少ないことを告げられました。

母はホームから入院となり、僕は仕事をキャンセルして少し予定を延ばして滞在したけれど、途中で妹と替わってもらって一旦東京に戻った。
今月9月は明治座で一ヶ月公演の仕事が入っていたからだ。

妹は病院のケアが良くないことに腹を立てていた。
それで、近隣で探して隣町の西条市にある愛寿会病院というホスピスに転院した。
ここの人達は本当に手厚く看護してくれたそうだ。
僕も後で行った時に感じたけど、窓から見える山も美しくて良いところだった。

劇場公演は1日からスタートしたけど、落ち着かない毎日だった。
休憩中に母の携帯に電話すると、当初は元気な声で頑張って治すからと言っていた。
その声が日々少しずつ小さくなり、気も弱くなって来たように感じた。
僕は「劇場の仕事が終わったらお見舞いに行くけん、ゆっくりしながら待ちよってよ。」と話したけど、後で聞くと妹には「お兄ちゃんは仕事があるんじゃけん帰ってこんでええ。」と話していたと云うことだ。

痛みでモルヒネを投与するようになった。
そんな状態の時でも、電話では僕の家族を気遣ってくれた。
最後まで心配だったのだろう。
母は結局、何でもお見通しだったんだろうな。

劇場のショウではトラ(代役)の人に準備をお願いして万が一に備えた。
そんなある日、電話しても朦朧とした状態になり、妹から電話をしない方がいいと言って来た。
そして16日の朝4時過ぎに妹から危篤の電話があって、僕はすぐ松山行きの飛行機の1便を予約して取るものも取り敢えず急いで家を出た。
松山空港からはレンタカーで向かったけど、僕が飛行機に乗る前に母は息を引き取ってしまった。

最後を看取ったのは僕の長男と妹だった。
長男はおばあちゃんが大好きだったし、おばあちゃんも長男のことをとても大切にしていた。
彼には友達との約束もあっただろうに、3連休だというのでおばあちゃんを見舞うために新居浜に帰っていたのだ。

愛寿会病院に着いて母と会ったが、穏やかな顔でスヤスヤ寝ているような感じだった。
実感がないまま病室に居ると、ホスピスの師長さんがロビーにあるピアノを演奏しておおくりしませんか、と気遣って下さったので童謡やイタリア歌曲など母が好きだった曲を数曲演奏した。

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8/15 午前、新居浜にて

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8/19 翠波高原

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8/21 19時頃、新居浜の実家近く


そしてお通夜、葬儀を済ませて、僕は東京に戻って仕事に復帰した。
冬美さん、メンバーはじめ、スタッフや制作会社の方々などからたくさんのお心遣いをいただき、感謝しきれない思いです。

母の弟で僕の叔父には本当にお世話になった。
動転している上に判らないことだらけの僕ら兄弟にとって、この叔父が居なければ何も事を運ぶことが出来なかっただろう。
また父方、母方の叔父叔母がそろって参列してくれたことに母もきっと喜んでいるに違いない。

今思うに、母は僕たちの手を煩わせることを嫌って早く逝った気がしてならない。




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コメント 12

ビタースイート

心よりおくやみ申し上げご冥福をおいのりいたします。
by ビタースイート (2012-09-21 02:41) 

himanaoyaji

お母様、おくやみ申し上げご冥福をおいのりいたします、 
そうですか、大変でしたね、 私も親元離れて生活してましたので
両親ともに最後の時は一緒にいられませんでした、
私の父親は 「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」 これが幸せだよと言ってました(順番が変わると不幸の意味) お気を落とさずに頑張って下さい、
私は手術も終わりいまのところ順調です、 名古屋公演ありましたら行けそうです。
by himanaoyaji (2012-09-21 06:26) 

taka-ono

ビタースイートさん
どうも有難うございます。
by taka-ono (2012-09-21 09:37) 

taka-ono

himanaoyajiさん
お気遣いを有難うございます。

手術の経過が順調で良かったです。
安心しました。

名古屋には11月に行きたいと思っていたんですが、予定がたたなかったので今は何も決めてないんです。
これから動いてみます。
もし決まったら、その時には是非お会いしたいと思います。
by taka-ono (2012-09-21 09:41) 

ひまわり

謹んでお悔やみ申し上げます。
お気を落とされませんように。。。

私の父も最後はモルヒネ漬けの日々でした。そして臨終には間にあいませんでしたが、本当に今にも起きそうな安らかな顔でした。

しばらくは辛い日々になると思いますが、年が経ればいい思い出ばかりが
残ると思います。

しばらくご無沙汰していますが、都内でのライブがありましたら、近々お会いしたいですね。

by ひまわり (2012-09-21 10:53) 

robotic-person

心からお悔やみ申し上げます。

昨年、母がホームから病院に移り、毎週通っていて「まだ、大丈夫だろう」と帰ったら・・、でした。なお、私の心の中で生きているのは確かなようです。
by robotic-person (2012-09-21 19:55) 

reorio

心よりお悔やみ申し上げます。
by reorio (2012-09-22 02:27) 

taka-ono

ひまわりさん
どうも有難うございます。
お父様もそうでしたか。

また近々、お目にかかれるのを楽しみにしています。
by taka-ono (2012-09-23 00:25) 

taka-ono

robotic-person さん
どうも有難うございます。

お母様が心の中で生きてらっしゃる、というお話に安堵感を感じることが出来ました。
有難うございました。
by taka-ono (2012-09-23 00:31) 

taka-ono

reorio さん
どうも有難うございます。
by taka-ono (2012-09-23 00:33) 

yaso

小野さん、お悔やみ申し上げます。
オルガン入ったなんて、ボクが能天気なこと言ってる最中の
ことだったのですね。ゴメンナサイ。
今日ブログ見てびっくりしました。
私事ですが、10余年前母を69で失ったときは、マイリました。
でも母の遺した衣装ダンスを開けて懐かしい樟脳の香りに触れたとき、
子供のころ、道端での長い立ち話に堪能して母の腰に耳をつけて話し声を聴いた時のことが思い出され、自分が紛れもなく母の形見だと、確信したときに、思うように生きていく勇気がわきました。
母は一度だけ夢枕に立ってくれましたが以来現れません。でも、ガレージで一度だけ気配を感じサブイボが立ったことがあります。あれは何の用だったのかな?
二子玉の高島屋のライカのお店でM8を衝動買いしそうになったとき、なぜかどのクレジットカードも決済できず諦めたことがありました。後日会社に問い合わせても問題なかったとか。
何処かで見てるのかもしれません。
それと、お葬式の粗相は美徳なんです。しゃんしゃんと、手際よいなんて変ですよ。
さあ、前に進みましょう。
by yaso (2012-09-29 16:23) 

taka-ono

yasoくん
今は来月のライブのことで一杯いっぱいです。
いろんな思いがあるけど、それはもう少し落ち着いたら。

ハモンドは良い音してる?
by taka-ono (2012-09-30 15:53) 

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