SSブログ

荒川さん [人生]

荒川さんとは数年前に、フクさん(田井中福司さん)とのライブを聞きに来てくれた時に初めてお会いした。
場所はまだ亀沢にあった頃のアーリーバードだった。
荒川さんとフクさんは旧知の間柄で、荒川さんが日通の社員としてニューヨークに駐在している時にフクさんと知り合ったそうだ。ジャズ好きの彼は、日本人でありながらニューヨークの錚々たるミュージシャンに引けを取らない演奏をするフクさんと今は亡き彼の奥さんの静子さんにかなり惹かれたようで、僕にもその頃の思い出と彼等の演奏がどれだけ素晴らしかったかという話を楽しそうに話してくれたことがあった。

それ以降、荒川さんは僕のトリオの演奏を度々聞きに来てくれるようになった。
フクさんのその後の来日ツアーでも有名どころとやるライブでなく、敢えて僕とやる時には必ず聞きに来てくれた。
そんな彼が今年の1月のフクさんとのライブに姿を見せなかった。
そして、一昨日に亡くなったことを息子さんから知らされた。

手術で肺の5分の3を失って、呼吸が苦しくなってからは酸素ボンベを手引きカートに積んで現れるようになった。
駅前に移った現在のアーリーバードは狭い階段を3階まで上がらなければならないのだが、そのカートが階段では逆に重荷になるのだ。
そんな思いをしてまで聞きに来てくれた荒川さんだが、まだお元気な頃は僕たちの演奏を録音したり写真を撮ったりしてくれて後で丁寧にCD-Rに焼いて送ってくれたりしたもんだ。
また、何か言ってくれる一言が僕にとって大きな勇気の元になったこともある。

僕がジャムセッションのホストをやっているところでは、「Take The A Train」や「If You Could See Me Now」なんかを歌ってくれた。
そして、ニューヨーク時代も静子さんのトリオをバックに歌ったんだと自慢気に話してくれた。

僕がこのブログを始めるより少し前だったが、荒川さんと同じようにいつも応援してくれていた清水さんという人がやはり病気で亡くなった。
この当時は僕のトリオと僕のかみさんのボーカルの組合せでライブをやっていたが、お客が清水さんだけしか居ないなんてこともあった。
彼はいつも呑んだくれていたけど、カメラが好きで興が乗ると良い写真を撮ってくれた。
僕の1枚きりのCDのジャケットは彼の写真だ。

今年は桜の開花が遅かったから、荒川さんは桜が散るより先に逝ってしまった。
荒川さんが亡くなったことで清水さんのことを思い出して落ち込んでいたら、フクさんから荒川さんのためにも我々は頑張ろうとメールを貰った。
全くその通りですね。

P1000782.jpg
<石神井公園にて>



nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

トラウマ [人生]

僕はピアノを練習する時に妙にうっすらと罪悪感を感じることがある。
ピアニストがピアノを練習するのになんで罪悪感?と思うでしょうが、昨日その理由がかつての記憶の中から蘇ってきた。
大学進学を目指していた高校生時代、音大進学をあきらめて普通の国立大学に進学すると方針を切り替えた同じ頃、ジャズに取り憑かれ始めた。
ピアノを習っていた小さい頃に無理を言って買ってもらったピアノがあったので、それでデタラメなジャズ風の演奏を始めたら意外に楽しくて勉強などそっちのけで夢中になっていった。
それで母親から「ピアノばっかり弾いてないでちゃんと勉強しなさい。」と耳タコになるほど言われ続けた。
それが最大の苦痛だった。
昨日の朝、実家で練習していたら母親の機嫌がとても悪い。
「ピアノなんか何時でも弾けろがね。たまに帰ったんじゃけん、庭を綺麗にすることくらい手伝わんかね。」
このトラウマから逃れらる日は来るのだろうか。

人のつながりと出会い [人生]

昨日は加西市民会館でのコンサートを終え、北条鉄道と云う童話の世界に出てくるような一両編成の電車に乗った。
その終点が「あお」と云う駅だった。
IMG_1602.jpg

そのがらんとした車内で向こうの方から小さな声で「小野さん」と声をかけられた。
僕は初めてだったけど、コンサートに来てくれていたその人はステージの僕のことを知っていたのだ。
途切れ途切れにそれでもいろんな話をしたところ熊本県の天草から来て下さっていた。
どこで人とのつながりが出来るかなんてほんとに判らないものだ。

その後、大学時代の後輩と待合せしていた西明石のジャズバー「Over Time」でおちあい、酔っ払ってそこのピアノを弾いたりした。
マスターとはツィーターを通じて知り合った。うちの近所にもこんなジャズバーがあったらいいなと思う、こじんまりとしているけどそんな素敵なスペースだ。
そこで後輩とは30年前の話で盛り上がったのだが、僕は彼の話すほとんどのことを忘れてしまっていたのがちょっとショックだった。
逆に云えば、彼にとってはその頃のことが強烈な印象で残っているんだろう。
でも、こうして30年ぶりに会えたことで彼とのつながりがまた復活した訳だ。

その夜は姫路にある彼の自宅に泊めてもらう。開業医の彼の自宅にあるゲストルームはまるで高級旅館のようだ。
奥様も交えてまた昔の話、それからの話し、今彼が習っているオルガンの話しなんかで再び盛り上がる。
結局、寝たのは午前3時過ぎだった。

今朝は朝食を用意してくれて食後に診療に入る後輩をしり目に僕はのんびりと近所を散歩した。
IMG_1604.jpg
(散歩の途中で見つけた酒屋と八百屋が一緒の昔はどこにもあったような商店。懐かしい。)

その後、午前診療の最後に最近痺れがくる首と腕を診てもらった。
診察が終わって姫路駅まで奥様に送っていただき、3人で昼ご飯は日本そばのだしに中華麺と云う珍しいそばをいただいた。
そして、お土産までいただいて姫路駅から新居浜に向かう。

夕方からは高校生の明里ちゃんのピアノのレッスン。
そしてレッスンが終って、明里ちゃんと彼女のお母さんを案内して「TENT」と云うカフェに行く。
ここは僕の同級生のお嬢さんがやっている2階がネイルサロンで1階がカフェ。

明日は11時からたかつと云うホームで、14時から若水館と云う施設で演奏する。
朝日保育園の理事長、広島に住む友人から聞きに来てくれると云う連絡が入った。