横浜中華街 [家族]
連休最終日は、中華街に連れて行けと云う長男と二人で食事に出かけました。
横浜育ちのみぽんさんから頂いた情報の中から横浜大飯店の食べ放題をセレクトして、夕食には少し早い時間に出かけました。
連休最終日だし人気店だから混むことを予想してのことだったんですが、案の定店に到着した5時半ころで既に待ち時間が1時間半程ということでした。
でもその方が夕食には丁度いい時間になると云うんで、早速中華街見物と撮影開始です。
中華街はまさに芋を洗うような人出でした。
修正有り
路地を入れば、そこは無国籍な雰囲気です。
チャイナ通りの提灯
雑貨屋などをのぞいたりしていると、予約の時間まであっという間でした。
食べ放題はビュッフェスタイルではなくて番号でオーダーするのでゆっくり食べられます。
ゆっくりとは言え、高校生の息子の食欲は半端じゃなくて僕の倍は食べたかな。
二人で18品もオーダーしたから充分基はとってお釣りが来るくらい。
僕はおこげと小籠包が特に旨かった。
たっぷり食べて、連休の家族サービスはこれまで。
自宅のある石神井公園駅から中華街まで乗換えなく行けるようになったのでとても便利です。
特に渋谷駅での乗換がいらなくなったので助かります。
池袋線に東横線の電車が乗っかっているのはまだ見慣れないけど、中華街が近くなったなあ。
乗換の心配が要らないので、帰りは電車で爆睡でした。
石神井公園駅近くの店の看板
横浜育ちのみぽんさんから頂いた情報の中から横浜大飯店の食べ放題をセレクトして、夕食には少し早い時間に出かけました。
連休最終日だし人気店だから混むことを予想してのことだったんですが、案の定店に到着した5時半ころで既に待ち時間が1時間半程ということでした。
でもその方が夕食には丁度いい時間になると云うんで、早速中華街見物と撮影開始です。
中華街はまさに芋を洗うような人出でした。
修正有り
路地を入れば、そこは無国籍な雰囲気です。
チャイナ通りの提灯
雑貨屋などをのぞいたりしていると、予約の時間まであっという間でした。
食べ放題はビュッフェスタイルではなくて番号でオーダーするのでゆっくり食べられます。
ゆっくりとは言え、高校生の息子の食欲は半端じゃなくて僕の倍は食べたかな。
二人で18品もオーダーしたから充分基はとってお釣りが来るくらい。
僕はおこげと小籠包が特に旨かった。
たっぷり食べて、連休の家族サービスはこれまで。
自宅のある石神井公園駅から中華街まで乗換えなく行けるようになったのでとても便利です。
特に渋谷駅での乗換がいらなくなったので助かります。
池袋線に東横線の電車が乗っかっているのはまだ見慣れないけど、中華街が近くなったなあ。
乗換の心配が要らないので、帰りは電車で爆睡でした。
石神井公園駅近くの店の看板
こどもの日 [家族]
4日は近所の石神井公園に、昨日は埼玉県の森林公園に行ってきました。
自然あふれるそれぞれの公園をレポートします。
石神井公園へは午後から散歩がてらに出かけて、久しぶりに三宝寺池の方も回ってきました。
石神井池から三宝寺池にやってくると雰囲気が一変します。
自然の中に奥深く入っていくような、人が少ない時などはちょっと怖いような気さえすることがあります。
連休のこの日は訪れる人も多くて安心してまわれましたが・・・。
ここは、水草ですっぽり覆われた部分とそうでないところのコントラストがはっきりしています。
夕陽が水面に映えて美しい。
こちらは夕暮れの石神井池。
夕暮れと云えど、石神井池に戻ってくるとタイムマシンで文明の中に戻って来たような安心感を感じます。
石神井公園を後にして駅まで戻って来たら、この日も夕陽が美しかった。
さて、昨日のこどもの日はちょっと遠出して車で森林公園まで行ってきました。
エアートランポリンがある「ぽんぽこマウンテン」を目指して行くと、その手前にポピーの花畑が一面に広がっていました。
そこで、マクロに挑戦!
チビも負けずに撮影中。
そこから展望広場へ行くと、ジャンクアートがたくさん展示と云うかオブジェの如く置かれてます。
駐車場まで戻る途中に、丸太で覆われた園内バスに遭遇。
これに乗ることもなく、よく歩きました。
森林浴な一日でした。
自然あふれるそれぞれの公園をレポートします。
石神井公園へは午後から散歩がてらに出かけて、久しぶりに三宝寺池の方も回ってきました。
石神井池から三宝寺池にやってくると雰囲気が一変します。
自然の中に奥深く入っていくような、人が少ない時などはちょっと怖いような気さえすることがあります。
連休のこの日は訪れる人も多くて安心してまわれましたが・・・。
ここは、水草ですっぽり覆われた部分とそうでないところのコントラストがはっきりしています。
夕陽が水面に映えて美しい。
こちらは夕暮れの石神井池。
夕暮れと云えど、石神井池に戻ってくるとタイムマシンで文明の中に戻って来たような安心感を感じます。
石神井公園を後にして駅まで戻って来たら、この日も夕陽が美しかった。
さて、昨日のこどもの日はちょっと遠出して車で森林公園まで行ってきました。
エアートランポリンがある「ぽんぽこマウンテン」を目指して行くと、その手前にポピーの花畑が一面に広がっていました。
そこで、マクロに挑戦!
チビも負けずに撮影中。
そこから展望広場へ行くと、ジャンクアートがたくさん展示と云うかオブジェの如く置かれてます。
駐車場まで戻る途中に、丸太で覆われた園内バスに遭遇。
これに乗ることもなく、よく歩きました。
森林浴な一日でした。
東京ソラマチ [家族]
連休がスタートしたばかりの28日にチビと二人で行ってきました。
今回は最初からスカイツリーはあきらめて、目的はこれを買うこと。
トミカショップソラマチ店限定のロンドンバスです。
現場は予想通りの凄まじい人出でしたが、チビは山手線〜常磐線〜東武線と普段乗ることの無い電車に乗れて嬉しそう。
写真をたくさん撮りましたが、スカイツリーは上を見上げればきりがないので真中辺りのを1枚。
人混みを避けて外に出ると噴水があって、そこで一休み。
今回、オリンパスの60mmをはじめて使用。
噴水がきれいに撮れました。
今回は最初からスカイツリーはあきらめて、目的はこれを買うこと。
トミカショップソラマチ店限定のロンドンバスです。
現場は予想通りの凄まじい人出でしたが、チビは山手線〜常磐線〜東武線と普段乗ることの無い電車に乗れて嬉しそう。
写真をたくさん撮りましたが、スカイツリーは上を見上げればきりがないので真中辺りのを1枚。
人混みを避けて外に出ると噴水があって、そこで一休み。
今回、オリンパスの60mmをはじめて使用。
噴水がきれいに撮れました。
更新が開いちゃったなあ。 [家族]
先月半ばに母がお世話になっているホームから、医者から話があるとのことなので一緒に聞いて下さい、という電話をもらった。
嫌な予感を感じつつ、チビを連れてその日のうちに新居浜に帰り、翌朝すぐに病院に行くと医者から母の余命が少ないことを告げられました。
母はホームから入院となり、僕は仕事をキャンセルして少し予定を延ばして滞在したけれど、途中で妹と替わってもらって一旦東京に戻った。
今月9月は明治座で一ヶ月公演の仕事が入っていたからだ。
妹は病院のケアが良くないことに腹を立てていた。
それで、近隣で探して隣町の西条市にある愛寿会病院というホスピスに転院した。
ここの人達は本当に手厚く看護してくれたそうだ。
僕も後で行った時に感じたけど、窓から見える山も美しくて良いところだった。
劇場公演は1日からスタートしたけど、落ち着かない毎日だった。
休憩中に母の携帯に電話すると、当初は元気な声で頑張って治すからと言っていた。
その声が日々少しずつ小さくなり、気も弱くなって来たように感じた。
僕は「劇場の仕事が終わったらお見舞いに行くけん、ゆっくりしながら待ちよってよ。」と話したけど、後で聞くと妹には「お兄ちゃんは仕事があるんじゃけん帰ってこんでええ。」と話していたと云うことだ。
痛みでモルヒネを投与するようになった。
そんな状態の時でも、電話では僕の家族を気遣ってくれた。
最後まで心配だったのだろう。
母は結局、何でもお見通しだったんだろうな。
劇場のショウではトラ(代役)の人に準備をお願いして万が一に備えた。
そんなある日、電話しても朦朧とした状態になり、妹から電話をしない方がいいと言って来た。
そして16日の朝4時過ぎに妹から危篤の電話があって、僕はすぐ松山行きの飛行機の1便を予約して取るものも取り敢えず急いで家を出た。
松山空港からはレンタカーで向かったけど、僕が飛行機に乗る前に母は息を引き取ってしまった。
最後を看取ったのは僕の長男と妹だった。
長男はおばあちゃんが大好きだったし、おばあちゃんも長男のことをとても大切にしていた。
彼には友達との約束もあっただろうに、3連休だというのでおばあちゃんを見舞うために新居浜に帰っていたのだ。
愛寿会病院に着いて母と会ったが、穏やかな顔でスヤスヤ寝ているような感じだった。
実感がないまま病室に居ると、ホスピスの師長さんがロビーにあるピアノを演奏しておおくりしませんか、と気遣って下さったので童謡やイタリア歌曲など母が好きだった曲を数曲演奏した。
8/15 午前、新居浜にて
8/19 翠波高原
8/21 19時頃、新居浜の実家近く
そしてお通夜、葬儀を済ませて、僕は東京に戻って仕事に復帰した。
冬美さん、メンバーはじめ、スタッフや制作会社の方々などからたくさんのお心遣いをいただき、感謝しきれない思いです。
母の弟で僕の叔父には本当にお世話になった。
動転している上に判らないことだらけの僕ら兄弟にとって、この叔父が居なければ何も事を運ぶことが出来なかっただろう。
また父方、母方の叔父叔母がそろって参列してくれたことに母もきっと喜んでいるに違いない。
今思うに、母は僕たちの手を煩わせることを嫌って早く逝った気がしてならない。
嫌な予感を感じつつ、チビを連れてその日のうちに新居浜に帰り、翌朝すぐに病院に行くと医者から母の余命が少ないことを告げられました。
母はホームから入院となり、僕は仕事をキャンセルして少し予定を延ばして滞在したけれど、途中で妹と替わってもらって一旦東京に戻った。
今月9月は明治座で一ヶ月公演の仕事が入っていたからだ。
妹は病院のケアが良くないことに腹を立てていた。
それで、近隣で探して隣町の西条市にある愛寿会病院というホスピスに転院した。
ここの人達は本当に手厚く看護してくれたそうだ。
僕も後で行った時に感じたけど、窓から見える山も美しくて良いところだった。
劇場公演は1日からスタートしたけど、落ち着かない毎日だった。
休憩中に母の携帯に電話すると、当初は元気な声で頑張って治すからと言っていた。
その声が日々少しずつ小さくなり、気も弱くなって来たように感じた。
僕は「劇場の仕事が終わったらお見舞いに行くけん、ゆっくりしながら待ちよってよ。」と話したけど、後で聞くと妹には「お兄ちゃんは仕事があるんじゃけん帰ってこんでええ。」と話していたと云うことだ。
痛みでモルヒネを投与するようになった。
そんな状態の時でも、電話では僕の家族を気遣ってくれた。
最後まで心配だったのだろう。
母は結局、何でもお見通しだったんだろうな。
劇場のショウではトラ(代役)の人に準備をお願いして万が一に備えた。
そんなある日、電話しても朦朧とした状態になり、妹から電話をしない方がいいと言って来た。
そして16日の朝4時過ぎに妹から危篤の電話があって、僕はすぐ松山行きの飛行機の1便を予約して取るものも取り敢えず急いで家を出た。
松山空港からはレンタカーで向かったけど、僕が飛行機に乗る前に母は息を引き取ってしまった。
最後を看取ったのは僕の長男と妹だった。
長男はおばあちゃんが大好きだったし、おばあちゃんも長男のことをとても大切にしていた。
彼には友達との約束もあっただろうに、3連休だというのでおばあちゃんを見舞うために新居浜に帰っていたのだ。
愛寿会病院に着いて母と会ったが、穏やかな顔でスヤスヤ寝ているような感じだった。
実感がないまま病室に居ると、ホスピスの師長さんがロビーにあるピアノを演奏しておおくりしませんか、と気遣って下さったので童謡やイタリア歌曲など母が好きだった曲を数曲演奏した。
8/15 午前、新居浜にて
8/19 翠波高原
8/21 19時頃、新居浜の実家近く
そしてお通夜、葬儀を済ませて、僕は東京に戻って仕事に復帰した。
冬美さん、メンバーはじめ、スタッフや制作会社の方々などからたくさんのお心遣いをいただき、感謝しきれない思いです。
母の弟で僕の叔父には本当にお世話になった。
動転している上に判らないことだらけの僕ら兄弟にとって、この叔父が居なければ何も事を運ぶことが出来なかっただろう。
また父方、母方の叔父叔母がそろって参列してくれたことに母もきっと喜んでいるに違いない。
今思うに、母は僕たちの手を煩わせることを嫌って早く逝った気がしてならない。