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タケルさん [経歴]

昨夜の終電に近い丸ノ内線は普段より少し込んでいた。
と言っても僕の座った右側は空いていて、そこに黄色の派手なコートを着てつばの大きな帽子をかぶり手に缶チューハイを抱えた人が「ごめんなさいね」と言いながら座ってきた。
酒臭い上にたらこマヨネーズかなんかのおにぎりを食べている。
もっと奇麗なお姉さんなら良いんだけど、変なおじさんが(自分もおじさんだけど)座ってきて「参ったなあ」と思いはしたが、すぐうたた寝してしまった。[眠い(睡眠)]
うたた寝しつつも何度か意識が戻る度にそのおじさんがちらちらと僕の方を見ているのが気にかかる。
でも知らない振りを決め込んでいた。
ほぼ池袋に近づいた頃、そのおじさんがついに堪りかねたように「そのコートはどこで買ったのですか?」と聞いてきた。
そう、僕もその人に負けないくらい派手なコートを着ていたのだ。
これがそのコート[右斜め下]

P2151011.JPG

近づいて柄を見てみると、亀だの猫だの月だのが変わったタッチで描かれてます。
P2151012.JPG

これは2年前に大山の商店街で1週間くらい間借りしてやっているような店で、アジア系のおじさんから買ったのです。
数百メートル先からでも判ってしまうくらい個性的なコートです。
去年はちょっと恥ずかしくて着れなかったんですが、今年は何故だかお気に入りで毎日着ています。

さて、その話かけてきたおじさんですが、僕の顔を再度見るなり「なんだ、タカシじゃないか!」
何と!先輩ピアニストのタケルさん!だったのです。

そのタケルさんはステージではさらにド派手!真似出来る人は誰もいないでしょう。
以前ご一緒したときはタキシードに猫のしっぽが付いていましたが、これくらいのことは普通にやってしまうくらいの方ですから。
そのタケルさんに興味を持っていただけるこのコートって・・・。 Σ(゚Д゚;)!

僕は1981年の3月に上京していくつかのハコをやった後、ピアニストの森本洋子さんの紹介でその年の11月からベースの中山雄三さんのトリオで仕事をやらせてもらえることになりました。
当時、中山さんのトリオは、霞ヶ関ビルの35階にあった東京会館のクリスタルラウンジに毎日出演していました。
中山トリオはその頃でもう既に10年間ほどそこで仕事をしていて、その間にピアニストが6〜7人くらい替わったようですが、最初が僕の先生である徳山陽さんだったそうです。
そして、当時は本名で演奏活動していたタケルさんもその中の一人だったそうで、僕が入ってしばらくした頃に遊びに来てくれて知り合いました。
また、ドラムはもう数年前に亡くなった佐藤恭一さんから藤巻さん、三太夫さんと替わりました。

そのラウンジは夕方6時頃から演奏が始まるのですが、9時40分には終わってしまうような、今で考えると天国のような仕事でした。
夏などはまだ明るいうちから演奏が始まって、ピアノを弾いていると真ん前に東京タワーが見えるのです。
結局、翌々年の1月にその仕事自体が無くなってしまうまで、1年と少しお世話になりました。
夜景と音楽に料理と酒という優雅なラウンジでした。
ほぼ毎日、はとバスツアーの団体客も入ってきましたが・・・。
当時はこんなラウンジが都内にはいくつかあったはずです。

僕はちょうどその頃、徳山さんにジャズピアノの理論を教わり始めました。
神田にヤマハセンターがあって、そこで徳山さんのプロコースと今田勝さんが初心者コースを受け持っていました。
またタケルさんがポピュラーピアノコースの講師を担当していました。
徳山さんのクラスは入門する人が少ないので、希望者が数人集まったら新しく開講すると云うことで少し待たされた記憶があります。
それでも新しいクラスが開講すると7人くらいの生徒がいました。
医者やエレクトーンの講師、プロを目指す人など雑多な集まりでしたが、皆仲良く、そしてジャズを習得したいという熱意がありました。
でも徳山さんは厳しい人で、2年間やって結局最後まで残ったのは僕ともう一人のとても優秀だった女性だけでした。
僕も最後の1年間はコピーの宿題が出来なくてなんとか通っていただけの有様でしたが、その女性は更に残って勉強したはずです。

話が飛びましたが、そんな訳でタケルさんと知り合ってから既に30年も経つのです。
最初におじさんだなどと失礼な言い方をしてしまいましたが、僕にとっては恩人のような先輩です。
こうして今でもお互いにやっていられることをとても嬉しく思いました。




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